花火師コラム

三河地方の花火と生活 加藤克典

2012年04月18日花火師コラム

菟足神社 百雷三人衆拡大

菟足神社 百雷三人衆

こんばんは。加藤克典です。

花火職人という仕事は特殊な仕事ですので、みなさんから多くのご質問を頂くのですが、時には思いもよらない質問を頂くことがあります。
その思いもよらない質問が、私たちの認識を深く掘り下げてくれることもあります。

先日頂いたご質問です。
「花火もいっぱいあるけどさ、加藤さんは何が一番好きなの?」

固まりました。5秒くらい。すぐにははっきりと答えられませんでした。
考えました。ぼやっと頭の隅で、数カ月間。

それが最近、わかってきました。
私はお祭りの花火が一番好きなようです。

弊社のある愛知県の三河地方は、お祭りには花火が付きもの、という地域です。
お祭りの日は昼も夜も打上花火に手筒花火、ずっと花火です。

これも最近気が付いたことですが、三河花火というのは、見ることはもちろん、出すこと自体にも大きな目的があるように思います。
三河花火の代表である手筒花火は、地域の人たちがその土地の神様に捧げるものであり、私たち花火業者が放揚する(出す)ものではありません。また、手筒花火の目的のひとつ、放揚する迫力と緊張に関しては言わずもがな。耳元で10メートル近い炎が吹き上がるのです。

右の写真にある三河地方の伝統花火・百雷などは、焼き金の入った打上げ筒に人が直接投入して打上げをします。
ですがこの百雷、正直なところ価格の割にそこまできれいな花火が打ち上がるわけではありません。

では何が魅力なのか。
こちらも打上げた時の迫力がすごいのです。
天を割く、というのでしょうか。下から見ていると「ズババババババババババ…」と轟音を響かせながら昇って行く、まさに龍の如く、です。
これが、遠隔からの電気点火ではだめなのです。三河地方に住む人にとって、それでは百雷の意味がありません。できる限り直接人の手で打上げ筒に投入、点火します。
三河花火は、花火を出すことに目的もあるのです。

閑話休題。
お祭りの花火でした。自分がなぜそこに魅力を感じるのか。
考えることもなく、すぐにわかりました。そこに人が生きているからです。

人が生きているというのは、「生活がある」という意味です。

三河地方では、花火は生活の一部になっています。春も秋も、祭礼シーズンになると地域のお祭りの係の方々がお金を集め、弊社で花火を購入して行かれます。
これはあくまで購入です。弊社が打上げを代行することは殆どありません。
花火は火薬を使用しているため、とても危険なものです。弊社でも一般の方々に打上げ花火のみの販売はしません。
ではなぜこのようなことができるのか。それは、昔から地域の交流の中で花火の打上げの技術を引き継いできているからです。

手筒花火も同じです。法律で火薬の製造は一般には許されていないので、火薬の製造のみは弊社で行いますが、それ以外の作業は全て地域の人々の手で行われます。
もちろん手筒花火の技術も地域の人々の交流の中で守られて来ているものです。
打上花火、手筒花火問わず、都度安全指導はしていますが、基本的に「自らやる」というのが三河地方のお祭りの花火のスタンスです。

ただし、地域の中で技術を引き継ぐ、守る、と言っても、一年に一度お祭りの日に集まるだけでは到底そのようなことはできません。お祭りの日に花火を出すために、繁閑はありますが、一年を通して会合、練習を行っています。
さらに、自分が厄年(42才)になる年のお祭りに向けて、20代や30代の頃から寄り合って積み立てを行い、その大切なお金を花火に使う、ということもします。

もはやそこにあるのは、生活と隔離された一年に一度の花火ではなく、生活の一部に組み込まれた、「生きた」花火です。
恐らく、弊社が籍を置く三河地方に限らず、伝統的な花火の根付いている地域の多くは、多少形は違えど同じような状況ではないでしょうか。

少し個人的な話をすると、大学生の頃に休みを利用してバックパッカーをしていました。
ご多聞に漏れず私もインドに行ったのですが、紀元前に建てられたお寺の壁に、黄色いペンキをベタベタ塗っている場面に出くわしました。

衝撃でした。

日本で、これほどに古い文化財級のお寺に黄色いペンキを塗るでしょうか?
法隆寺を保護のため黄色いペンキで塗るなんて、とてもできません。

価値観の違いと言えばそれまでですが、この黄色くなったインドのお寺、地域の人々の生活の中で現在も深く根付いて生きているのではないでしょうか。
もちろん、日本の文化財級のお寺が全て生きていないとは思いませんし、歴史色とでも言うのでしょうか、古いものをできる限りそのままの形で愛せる国に生まれて良かったと思います。
ですが、あの黄色くなったインドのお寺ほど、地域の人々たちの生活にどっぷりと浸かってはいないように思います。
私にはインド黄寺(略しすぎ?)は、地域の人のコミュニティーの場であり、精神的な拠りどころであるように見えました。どう見ても近所のおっさんだろうという人たちが、ワイワイやりながらペンキを塗っているのですから。

二度目の閑話休題。行ったり来たり、ご迷惑をおかけします。
私には、あの時見たインド黄寺と三河地方のお祭りの花火が重なって見える部分があります。
確かに、伝統的なお祭りの花火にはショー的な要素が弱いところもあります。私たちプロの花火演出家から見ると、こうすればもっとお客さんが湧くだろうな、と思うこともあります。

ですが、そういう問題ではないのです。
この花火は、黄色いペンキを塗られたお寺と同じなのです。

早朝に轟音の出る花火を打上げ、近所から「鶏が卵を産まなくなる」という苦情が出てやむなく打上げ時間をずらしたり、とにかく神様に捧げるために泣く泣く観客のみなさんを遠ざけたり、そんなことを繰り返しながら受け継がれてきた花火なのです。
もちろんこういうことも、全て地域の中で行われてきたことです。
私たちプロは、アドバイスや、危険なことについては注意しますが、演出の仕方についてどうこう言うことはありません。それは生活なのですから。

私たち花火師は、色々な場面で花火を打上げる機会を頂いています。花火大会、テーマパーク、イベント、学園祭、ブライダル、etc。
全て素晴らしい仕事です。特に何かにこだわりをお持ちのお客様と一緒にお仕事をさせて頂くと、私たち花火師は寝る間も惜しんで働くようになります。

その中でも特に異色なのが、お祭りの花火です。生活の一部としてある花火。そこに強い魅力を感じます。
そして、ただ生活の一部としてあるだけでなく、本当に皆楽しそうに花火の周りに集まってきます。
これは、世界に誇れる日本の伝統文化だと思っています。

今、私たちはこの感じを花火大会等の他の花火の場面にも加えれないかと思案中です。
ただ、そのために間延びしてしまったり等、築きあげてきた花火演出の技術を犠牲にしてしまっては意味がありません。また、そうならないようにうまく花火演出の技術を向上させていくことが私たちプロの役割です。
いつの日かこの日本の誇る伝統文化を、何らかの形で皆様にお見せすることができればと考えています。

長くなりました。それでは、また。

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